昔は自分で選んだ服を着てたわけじゃなくて、親か誰かが選んだ服を着てたわけだけど、だいたいの服はもう自分で選んで買いますが貰ったりすることもあって、ポリプロピレンの衣装ケースから取り出してみた厚手で丸首のセーターは奥の方に詰め込まれていたために折りジワがついている、取り出した今日は汗ばむくらい暖かい日でセーター着るわけなくて、首のまわりがチクチクすることもなくて、また衣装ケースの奥にしまったセーターは、いずれ寒い日に取り出して着る時までケースの中で折りジワをつけてゆく、今年に入ってからは今日までセーターのことを忘れていた間に、上から上から詰め込まれた他の服に潰されてついていった折りジワと、暖かな日だからセーター着ないのでチクチクしない首まわりと、もう一度衣装ケースにしまう時、さっきまでとは違うたたみ方でしまったので新しい場所についていくのであろう折りジワが、今同時にあることは、セーターで首回りがチクチクしたことある人ならば、おそらく私が初夏に読まれているのならばチクチクしていない今の首まわりだけど、書いてある私には冬にも会えますので本当にセーターを着ながら読んだら分かる首まわりのチクチクと、その時になれば分からなくなっているというか忘れてしまっている汗ばむくらい暖かい日、折りジワは忘れられながらついていってる、冬であれば夏物のシャツに?そう書き残す今日、着ている開襟シャツの胸元へ実際に通り抜ける風はわかりやすく今なので、はっきり言ってどうでもいい。

 

『私自身以外の現在について記しておくなら、この文章以外を書いている間以外は、この文章を書いていること以外のすべてが放置・後回しにされているようでいて、実際には、ある瞬間というものが引き受けてくれるのはたったひとつの行為だけではなく、残りのすべての可能性は実行されている。現在性とは、何かの具体的な対象を経由して意識がそれ以外のものへとリフレクトする際の輝きであり、プリズムの性質をもった〈結び目〉なのだ。現在というものを捉えようとするときに、時間・空間どちらにおいてであれ、ある特定の「サイズ」を持った思考モデルを設定して考えを進めようとすることが現在性を捉えんとする態度としては的外れになる。時間や空間を分割し続ける形で極小になっていくモデルも、あらゆる可能性を内包しうる現在というものの性質から宇宙のように広がり続けることで極大になっていくモデルも「サイズ」を想定してしまっている時点で“とりこぼしている”。〈結び目〉というのは、空間にも時間にも場所をもたない移動しつづける作用のことであり、作用がない限り「結ばれていない」ことで現在性は、対象化が比較的容易であるために迫り出してくる過去と未来にその場をゆずり後景化しているのが常態である。現在性の“結ばれ”について言い換えれば、バンドのドラマーがスティックを振りかざしカウントを取る時にこれから始まるリズムを今(one)、今(two)、今(three)、今(four)とまるで分割するようでいて、その実、場に満ちるのはFUNKなビートに腰フリフリなんじゃ。まじで。

 

郵便受けに、いつの桜の花びら、じゃない、ガスの払込票、封を切ってみると3578円、もう一度郵便受けに放り込む、明日払う。