西口のマルイの一階に入っているカルディでアイスコーヒー用の豆を買う、いつもは200gずつ買うけど最近は来客が多くすぐに切らしてしまうので400g買っておこうとすると会計は1000円ちょっとになって千円札2枚を銀色のトレイの上に置く「今月末まで1500円以上お買い上げいただくと、このミニチュアセットがもらえるんですけどいかがですか?」と言いながら長い人差し指がすうっと伸びてきてレジ横に設置されたキャンペーン用の、ツン、と軽く弾かれたポップには、ミルやドリッパーなどのコーヒー周りの器具のミニチュアが細々と並べられている写真が、弾かれて揺れているので、ええっと、ミニチュアのコーヒー器具は、「お好きなのを選んでいただけるんですが」ええっと、ミニチュアのコーヒー器具は、「大丈夫です」と言うために顔を上げると眼鏡をかけた店員が「ふふっ、わかりました」と微笑みながらトレイから千円札を2枚受け取る、
マルイの駐輪場に入れるのが面倒なので、入り口横にあるビルとビルの隙間にとめていた自転車にまたがっている帰り道に「大丈夫です、ミニチュアのコーヒー器具はいらないです」右足と左足でペダルを交互に踏んで、「ミニチュアのコーヒー器具っていりますか?もらったら家のどこに置きますか?」微笑むだけで返答をしなくなった眼鏡をかけた店員の、顔のディテールが思い出せない、「台所の窓の縁に置きますか?もう何かすでに置いていますか?」自転車の速度で行き交う人の合間を縫う、素早くすり抜けるために通りを歩く人の速度や目線を迅速に演算、「歯ブラシ」え?歯ブラシ?「うち、洗面所ないんで。台所しかないんでそこで歯磨きもするんです」入り乱れる歩調の中から絶妙なハンドリングとわずかな会釈で最適ルートが開けてくる、「そうなんだ」サツキの花が咲いていた、「どこ?」もう通り過ぎた、
例えばサツキの花を見て、ああ綺麗だなと思ったりする時に、サツキの花を見ているのだろうか、サツキの花といってしまうと、それ単体を背景から切り取って思い浮かべられ易いので「緑道に差し込む日差し」でも良いんだけど、今日も帰り道に綺麗でした、道の両側に植わっているのは春には桜の木なんですけど今は緑が、横切っただけなので、奥へ奥へと続いている緑道の中へは進んでいない、自転車のスピードで横切った時に見えた「緑道に差し込む日差し」が、ああ綺麗だなぁと思うのは「緑道」や「差し込む日差し」に目が到達する前から思ってはいないか?「緑道」も分解して「桜の木」に、
見えている風景の構成要素を分解するのに言葉として知っている単語それぞれの引力が強すぎて、あたかもそれを見ているような気がするけれど、風景を構成しているのはもっと違うもので、例えば風景は粒子で出来ていて、そこには疎密があり、密な部分だけが目が“ぶつかる”ことが出来るので言葉として認識しやすいのだとしたら、もっと疎な部分が風景にはグラデーションで満たされていて、そこを通過して密な、“ぶつかりやすい”、言葉にしやすい、「桜の木」、もうひと頑張りしたとしてもせいぜいが「緑道に差し込む日差し」と呼ばれるものがあるが、その前に通過している疎な部分は、言葉に到達する前に思っていることを思わせている、緑道の手前を横切った自転車のスピード、鼻からスッと息が抜けて。