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1日12時間音楽を聴いて、残りの12時間はたっぷり寝ている人がいたとして、必要になるのは水と食料と寝床とトイレとパソコンとネット環境なのか、それは大昔から可能な方法で、石器時代に草むらを見ている男、石器も作らず、木の実を割る工夫もせず、寝場所に適した洞穴を探すこともなく、男は、男が見ている草むらを、男が見ている草むらだけが草むらだとは思わないようすることに力を注いでいた、草むらという言葉も知らないので、足元には握り締めれば引きちぎることのできる草が、顔上げれば広がっていく、その広がりはもっともっと遠くの、まるで行ったことがない場所までも続いている眩しさのことを、日が昇ってから沈むまでの間、直立不動の姿勢で眺めていれば疲れるだろう、その場でうずくまっていびきを立てて眠った、それを今度は草むらは聴いていた。

 

岡村靖幸の『だいすき』を聴いていたので、日が暮れた、のか、他にもプレイリストの中からシャッフルされた音楽が流れていれば踊ったりもできるけれど、そこにいなくてもいい、例えばベトナムで咳き込んだり、メルボルンで前髪を耳にかけたり、プエルトリコでさくらんぼ食べたりしてても分からないけど、さっき聴いた音楽がもう一度流れるんだよ、と耳打ちされた名古屋のクラブでキスしたのはどうなった?

 

厚手の靴下は乾きづらいので明日までぶら下げておく、明日起きて目に入れば、洗濯バサミを親指と人差し指で挟むと、今まで洗濯バサミで挟まれていた靴下は、もう片方の手で受け止めなければ地面に落ちてしまうだろう。そうならないようにもう片方の手で靴下のどこか一部を掴むだろう。無駄のない日記には嘘があって、自分で自分に話しかけるので、自分に聞いてもらえるような物言いしかしないので、考えたことが、一列になっているのは嘘で、考えたことは一列にならない。

 

掴めば一本一本の草、草がたくさん生えている、たくさん生えた草が広がっている「草むら」あるいは日の光が照り返して「眩しい」

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